ミニマリストと「世間さま」の相性が悪いわけ

ミニマリスト


ミニマリストの生活が取り上げられると、ネット上では否定的な意見で溢れます。
病気だ。家族が可哀想。無駄こそ文化だ。
ミニマリストに対する批判は山ほど検索サイトでヒットします。
どうして、そこまでミニマリストが嫌われるのでしょうか。



ケガレという概念による説明~日本はまだまだアニミズム~

ミニマリストに対する忌避感はどこからくるのでしょうか。
アニミズムが影響しているという仮説を立ててみます。
アニミズム、つまりモノに魂が宿っているという信仰です。八百万の神ですね。
たとえば、針一本を捨てるにも寺で針供養する文化があります。
さすがに針くらいは気兼ねなく捨てられる人でも、人形ならどうでしょう?
人形供養で処分したいと思うのではないでしょうか。
そして、できれば捨てるよりも誰かに譲りたいという人も多いはずです。
その裏には、物を大事にしないと物から報復される、という信仰があります。
もったいないおばけが出てくるぞ、というわけです。
ミニマリストに批判的な人は、物を簡単に捨ててしまうミニマリストにケガレのようなものを感じて忌避感を感じる。
そう考えると、ミニマリストに対して罵詈雑言を放つのにも理解できます。

物を捨てずに溜め込むのは呪われないため

このアニミズムについては、物を大事にしているのだからいいじゃないか、という人もいますが、
物を沢山持ちすぎている人は、ものを大事にしているのではなく、
「捨てたいけど捨てるのが怖いから仕方なく所有している」だけ。
その実、ちっとも大事にはしていません。
(物を大事にしないと可哀想。そう思った人、その考えはまさにアニミズムですよ。)

外国にも、物を溜め込んで部屋中散らかっている人はいます。
一方でミニマリストとしてものを持たずに生活している人もいます。
そして、いずれのタイプの人に対しても、何も言われません。
他人は他人。自分は自分。人のライフスタイルに口出しはしません。
物を捨てたからといって「ケガレ」るなんて考えもないのですから。

一方で日本では、全く関わりのない「世間様」がミニマリストにもゴミ屋敷の人にも口出しをします。
ケガレは伝染ります。ケガレた人がいれば、自分たちもケガレてしまうおそれがあるのです。
「エンガチョ、エンガチョ」と唱えるように、ミニマリストを批判するわけです。

お前の物は「世間様」の物!

日本においては「世間」という概念があります。
つぎに、この「世間(seken)」という概念を使ってミニマリストが嫌われる理由について仮説を立てたいと思います。

世間とは

世間というのは、自分と利害関係のある人々と将来利害関係を持つであろう人々の全体の総称で、

  1. 贈与・互酬関係
  2. 長幼の序
  3. 時間意識の共通性

が特徴とされています。
(詳しくは阿部謹也「日本人の歴史認識」「世間とはなにか」や鴻上尚史の『世間と空気』)
まず、贈与・互酬関係を取り出して考えるとしましょう。

モノは天下の預かり物

物は、このような贈与・互酬関係の中で動きまわることが前提となっています。
個人は物を所有しているというより、天から一時的に預かっている、というわけです。
天から預かっている物なので、世間の外部へと処分したり破壊することは許されません。
つまり、個人の所有権という概念が薄いのです。

たとえば、金銭ならどうでしょう。
宝くじにあたった人がいたら、その人に多くの人がむらがってたかります。
まるで自分に分前をもらう権利があるかのように。
金銭の所有権は間違いなく宝くじにあたった人のものですが、その人に関係してきた人全員のモノのように扱っているのです。
金は天下の周りもの。つまり、誰のものでもないということです。

また、「ひとりの日本人が得た名誉は、日本人全体の名誉」とでも言いたげな「海外で活躍している日本人」系テレビ番組もその根幹は同じです。

所有権という概念が希薄なのはアニミズムからも説明できます。
アニミズムを持っていたインディアンやアイヌに所有権という概念がなかったそうですが、
さすがにそこまでラディカルではないとしても、一個人の所有権という意識は希薄です。
せいぜい、「家(一族)」の所有という観念くらいでしょうか。

「世間」とアニミズムは一体

「世間」という概念とアニミズムという概念は独立した概念ではなく、「世間」には「アニミズム」が含まれています。
西洋で個人主義が発達したのは、キリスト教の告解のシステムが当時あったアニミズム要素を打破したからだそうです。
日本ではそのようなことはなく、アニミズムが生き残り、「世間」も残りつづけました。

しかし「世間」は崩壊しつつあり……

世間とは、自分と利害関係のある人々と将来利害関係を持つであろう人々の全体の総称です。
かつては人が移住することも少なく自分の田畑を守り生きていくために助けあって「ムラ」を築いていたわけですが、
現代ではもう、そのようなことは減ってきました。
利害の中心である経済的利益は、「ムラ」には依存しなくなり、
小さな世間を作っていた「会社」も自分を守ってはくれなくなりました。
「世間」の力は弱くなっています。
ですが、「世間」が猛威を振るっていた記憶(個人の記憶というより文化的記憶)の影響で「世間」に怯えながら生きているのが今の日本だと思っています。
ミニマリストに対する批判も、所詮は口だけのもので、村八分による生殺与奪権を握っているわけでもなく、弱々しいものです。

ミニマリストよ、「世間」を捨てよ

ですので、ミニマリストが世間さまに批判されても気にすることはないのです。
堂々と物を捨てましょう。そうすると「世間」から批判が来ます。
でも気にせず物を捨てましょう。そして「世間」も捨てましょう。
それは世捨て人になるという意味ではありません。
「世間」という意味不明の存在の影に怯え、他人の意見を気にして自分の殺す必要はないということです。
ミニマリストに限らず、日本人は誰しも、世間に気兼ねして生きる必要はないのです。
「世間」はあなたを守ってくれません。
あなたも「世間」を守る必要はありません。

まとめ

  • 「世間」というアニミズムが日本では依然として蔓延っている。
  • モノは、個人の所有物ではなく、「世間」のもの。そう思っている人もいる。
  • だから物を捨てるミニマリストは「世間」に嫌われがち
  • しかし、「世間」は弱っている。もはや「世間」に振り回される必要はない。

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