岡田尊司『母という病』を読みました

買ったもの


精神科医の岡田尊司さんの『母という病』(ポプラ社)を読みました。
文章はうまい。スッキリとした語り口で読みやすい。
実際横溝正史ミステリ大賞も別の作品で獲っているのだから客観的にもそうなのでしょう。
で、内容はというと……

内容

患者の様々な心の障害の根底に母親との関係があるケースを度々観察し、また、母親との関係が正常化することで障害が改善するのを見てきた筆者は、「母親との関係」がいかに人生に暗い影響を及ぼしうるか、を力説。すべての人間関係、恋愛、子育て、うつや依存症など……。

筆者の患者(クライアント)だけでなく、ヘッセやジョンレノン、ガーシュイン、岡本太郎など様々な有名人がいかに親との関係に苦悩していたのか、どういう過程で乗り越えたのか(乗り越えられたが語られない場合もある)、そして、もし自分が「母という病」に苦しんでいるならどうすることがいいのかが、語られています。

感想

一時期アダルトチルドレンというのが流行った。今はあまり聞かない。子どもっぽい性格のまま成人してしまった者、と誤解された意味で捉えられたからかもしれない(新しい言葉を聞いたらその定義をハッキリさせるのが大事なのに、ことに日本人は定義を曖昧なまま使うことが多いからなぁ)。
母親との関係が原因で起こる人生の悪影響などを「母という病」というこの本は、アダルトチルドレン関連本といえる。

子供に虐待したり、暴言を吐いたり、ネグレクトしたりといった明らかな虐待の事例や完璧主義的な過剰な期待を子供に負わせる場合だけでなく、仕事のために少し子どもと離れる事になった、という程度でも深刻なダメージを与える場合があることが驚きだった。
もちろん、多少放っておく場合でも子供の人生に深刻なダメージを与えるとは限らないけれども、場合としてはあり得るのだ。母親としては、子供のために働いているのに、そのために子供が不幸になってしまうかもしれない、なんて言われたらすこぶる心外だろうけど。

虐待され不幸な境遇にいても構わず成長できる人が稀に存在するように、外から見れば十分な愛情が注がれていると見える場合でも子供にとっては愛情不足な場合もある

「手のかからない子・聞き分けのいい子だから自分の育て方は間違っていない」と考えがちだけれども、「手のかからない子」「手のかかる子」というラベルは、十分な愛情が注がれているかどうかの指標にはならない。基準は子供本人だ。親じゃない。あたりまえだけど忘れがちだなぁと思った。

親と子供の関係は、対等なものではない。親は子供の生殺与奪権を握っている。その支配力は強烈だ。大人になっても対等にはならない(友達のような関係の親子はむしろ異常で、子供が相当な背伸びをしている状態かつ親が相当未熟な状態なのだ。)
子供は言いたいことをすべて親に言えるわけじゃなく、相当溜め込んで生きている。
親の心子知らず、というより「子の心親知らず」というのが現実。本当に痛いほど実感できる。いわゆる激しく同意というやつ。
だけど、親になった途端そういうことは忘れてしまいそう。

私の場合

私も相当溜め込んでいるけれども、私の母親は祖父母に対して私以上に溜め込んでいることはよくわかっている。姉弟間で圧倒的な愛情差をつけられていたらしい。(それを吐き出させたいという願望はあるけれども、どうしたら良いかはわからない。祖母ももう亡くなっているし)。
そうして完璧主義的になったのだろう。そのしわ寄せは私に来て私も完璧主義的に頑張りすぎた。

母の場合は、自分も溜め込んでいるんだから、子供も溜め込んで当然と思っているフシがある。
私もそれを当然と思ってきたけれども、実際私自身が精神的にそこそこクラッシュしてみると、それは間違いだとはっきりわかる。
いつかガツンと本人に言わなければならない時がくるだろう(前々から思っていたけど、この本で補強してもらえて心理的にはかなり楽になった)。

不満点

三歳までの愛情の注ぎ具合が大事という、三歳児神話については議論がある(学術的にはまだ否定も肯定もされていない)ところなのに、この本では所与のものとして書かれているのが気になった。

また、精神科医の前には問題のある人がやってくるのだから、正常な人の場合というのはスルーされる。つまり、精神科医としての経験というのは相当な偏りがある。だから客観的なデータが重要になるのだけど、経験上の話なのか、学術論文のある話なのかわからない部分が多い。
一応最後のページに参考文献の一覧があるのだけれども、並べてあるだけで、どの部分が論文等の参考文献によるものなのかわからない。
ガーシュインの母親の話については興味深く、ウィキペディアの英語版でも調べたけど見当たらなかった。出典がわからない。

母という病からの離脱には、親とのコミュニケーションが重要だけれども、コミュニケーションに協力的ならまだしも、非協力的な場合はもはや母親から逃げるしかない。
それに、良きパートナーに巡りあって「母という病」が緩和する場合もあると書かれているけれども、それってもはや運でしかない。
個人のみで可能なのは、ネガティブな感情をコントロールする技術を身に付けることくらいなのは少し悲しい気がする。

ミニマリスト的な視点

愛情ホルモンであるオキシトシンは、どうやら整理整頓や潔癖症にも影響を与えるらしい。
オキシトシンが豊富な場合は、周囲が多少グチャグチャでも気にならない。
逆に不足すると、潔癖症で白黒つけたがる妥協できない性格になりやすいという。
子供が生まれた時にオキシトシンが出やすいそうで、確かにテレビで見る子沢山の家はグチャグチャだ。(テレビ側のニーズとしてそういうグチャグチャな家庭が好まれているらしいけれど
部屋が綺麗すぎる人、潔癖症の人があまり幸福に見えないのは、そういう理由からかもしれない。
「ミニマリスト=潔癖症」ということでもないけれど、潔癖症気味のミニマリストの人は一度、親との関係を見つめなおしてはどうだろう。

最後に

読み進めるたびに、自分の過去と重なることも多くて、辛い読書体験でした。感想を書くのも結構心にくるものがある。
ただ、単に辛いだけというわけでもなく、勇気づけになることもあり、救いもありました。

直接人に薦めるのは、まるで「自分の親は……」「あなたの親も……」と告白するような感じがありますが、ネット上では気軽にオススメできます。

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岡田尊司『母という病』

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