ボクたちに、もう「ミニマリスト本」は必要ない

ミニマリスト


ミニマリストという言葉やライフスタイルが認知されるようになり、
ミニマリストが書いた本が出版されるようになりました。
まさに雨後の筍のように次々に出版されています。
たくさん出版されるだけでなく、電子書籍やブログもたくさん現れています。

たとえば、

「ぼくたちに、もうモノは必要ない」
「必要十分生活」
「最小限主義。」
「『何もない部屋』で暮らしたい」
「フランス人は10着しか服を持たない」
「わたしのウチにはなんにもない」
などなど。

私は、そんな本は不要だ、と思うので買いません。
ただ、ミニマリストとはどんなヒトなのか、どんな生活かを知るにはいいかもしれません。




ミニマリストになることへの不安感

とはいえ、買っているのは、すでにミニマリストに憧れている人なのでしょうから、
いまさら、ミニマリストはどんなヒトなのか知ろうとするのも変な話です。

変だなぁと思っていたところ、ある心理学の用語を知って、「なるほど。だから売れるのか」と思いました。
その心理学用語が「社会的証明」です。

社会的証明とは、社会心理学の用語で、個人の意見の妥当性を証明することを指す。
人は、集団の中で自分を支持する意見が全くないと、自己の意見の妥当性に疑問を感じ、意見を取り下げてしまうのが普通である。しかし、自分を支持する意見が1つでもあると、状況が一変する。
例えば、同性愛という状況を考えてみる。周囲が異性愛ばかりだと、自己の性指向に疑問を感じ、自分は異常なのではないかと悩むことになる。しかし、同好の存在を知ることにより、性指向を自己肯定し、ひいてはカミングアウトに至るケースがあるのは、社会的証明のなせる業と言える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/社会的証明

つまり、ミニマリストに憧れているけれども、「そんなライフスタイルでいいのか不安だ」という人が買っているのではないかと。
結局のところ、ミニマリストになることが不安なのでしょう。
「ミニマリストのすっきりとした部屋を見ると断捨離のモチベーションがあがる」という人は、心のなかの不安感が取れてモチベーションがあがるのでしょう。


他人の目を過度に気にするという習慣を捨てよう

しかし私は、他人の目を過度に気にするという習慣こそ断捨離、最小化するべきだと思っています。
他人がどんなライフスタイルを送っているのかなんてどうでもいいことです。
他人にとって快適なことでも、私やあなたにとっては不快かもしれません。
社会的証明は、ある意味人間の性であるので、責めることなんてしませんけれども、過度に他人の目を気にするひとは、積極的に他人の目を無視する訓練をしたほうがいいのではないでしょうか。
自分の心の声に耳を澄ましたほうがいいでしょう。

一方で、
あなたにとって快適なことも、自分以外のひとにとって不快なこともあります。
自分以外の気持ちなんて「どうでもいい」と切り捨てたいところですが、
他人ではなく、家族が相手なら、「どうでもいい」なんてことにはなりません。
ですので、コミュニケーションは必須です。

ミニマリスト本に期待すること

ミニマリスト本に期待することがあるとすれば、どのように家族や子供と折り合いをつけたのか。
そういうコミュニケーションの方法が開示されていれば、と思います。
(といっても、ミニマリストは独身か、配偶者がいてもやたら理解がいいんですよね……)
ドラマ「わたしのウチにはなんにもない」では捨てたがらない母(朝加真由美)や祖母(江波杏子)との確執という点が描かれていますが、まあ、ドラマですからね……。

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