カフェイン文化がわからない
マスコミは警鐘を鳴らさない
マスコミには、おしゃれなカフェの情報が溢れている。こだわりのコーヒー。珍しいスイーツ。そんな情報だ。
鳥取にスターバックスができるとそれだけでニュースになる。
テレビのCMも缶コーヒーのCM、インスタントコーヒーのCMが流れている。
タモリが出ていたり、ハリウッドスターが出ていたり、巨額のお金を投入してこだわっている。
だからかもしれないけれども、コーヒーの飲み過ぎについて警鐘を鳴らす情報はテレビには流れない。
あれだけ大量の「健康情報」を垂れ流すマスコミがこれについて触れないのである。
カフェインの負の側面
コーヒーに含まれるカフェインは頭をシャキッとさせる効果があるという。滋養強壮剤のほとんどにカフェインが含まれている。
理由は他の物質よりも顕著な効果があるからだろう。入れないと売れないのだ。
けれども、カフェインにはマイナスの側面がある
脳内不安物質という側面だ。文字通り摂取すると不安感が増す。
不安症の日本人
カフェインの効果の出方にはもちろん個人差がある。個人差があるが、不安物質という点で変わりはない。そして日本人は遺伝子レベルで不安に弱いという。
セロトニンという神経伝達物質が不足すると不安を感じるが、これを調節する遺伝子がある。
セロトニントランスポーター遺伝子だ。
セロトニントランスポーター遺伝子は長さによって、短いS型と長いL型の2種類に分かれている。
多ければ多いほど“内向的で従順”な性格になるS型、逆に“自主独立の性向が強く、社交的で活動的”な性格になるL型が知られる。
S型を世界で最も所有するのは日本人なのだという。
日本の頭脳というべき官僚たちが、非常事態に対してパニックに近い状態になるのは戦前戦後通じてよく見られる。
日本軍の将校といえば無能の代名詞みたいなものだけれど、不安感に弱いのでそうなるのだろうと私は睨んでいる。
東日本大震災でも、官僚たちはパニック状態で例えば、文科省はSPEEDIの報告を忘れたりと酷い有様だった。
もちろん政治家の対応も会議会議で酷かった。
日本人こそカフェインを控えるべき
遺伝子レベルで不安に弱いのに、さらにカフェインを摂取するとどうなるか。芥川龍之介は「何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」のために死んだ。つまりはそうなりかねないのだ。
もちろん芥川龍之介の死の原因がコーヒーだとは言い切れない。けれども彼はコーヒー好きだった
日本の自殺率は先進国で一位だ(ロシアは日本より高いけれど、あの国はアルコール中毒がひどいのと経済も不安定だ。日照時間も少ない)。
カフェインが原因となるのは数%かもしれない。それでも毎年約三万人という母数を考えると数百数千人単位が犠牲になっている。
未遂を考えるとカフェインのせいで人生が狂った人の数は毎年数十万人規模にのぼるだろう。
日本人がカフェインから抜け出せない理由の想像
そういっても多くの人はお茶やコーヒーを飲むのをやめないだろう。体に良くないはずなのに。
私の想像だけれども、お茶文化はおそらく身分制度と深く関わっている。
かつて水呑み百姓という身分があった。小作農など底辺の身分である。
だからお茶を飲むというのはステータスで、その文化的遺伝子を未だに引きずっているのではないか。
この想像を、そんなの江戸時代のことだろう、と切り捨てられるだろうか。
実際、会社でお茶の代わりにお湯を出してみたら、客には「失礼!」と思われるだろう。
自分の健康を守れるのは自分
遺伝子レベルでカフェインが日本人の体によくないのに、マスコミも社会もそれを教えてくれることはない。前述のとおり、マスコミはお金にならないことは言いません。
お金になることであれば、人畜無害なものでも健康食品に仕立てあげます。水素水やゲルマニウム。無害であれば責任はとらなくていいからだ。
また、カフェインをやめようということは文化的にも言いづらい土壌が日本にあることを考えると、カフェインをやめろ、という情報は外部からほとんど得ることは無い。
結局自分の体を守れるのは自分しかないということです。
自分の頭で考え調べ、実際やってみて、どうなのか検討する。
それしか自分を守るすべはないのだ。
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