変わる力こそ生きる力

ミニマリスト


広い田舎から都会に出てきて、田舎にいたときの生活スタイルのまま生活したら、当然部屋がものだらけになりますよね。
広い田舎で好きなモノをたくさん買って、要らなくなっても部屋の何処かにおいておけば済むような生活から、
都会の狭い部屋でも捨てる生活をせずに過ごしていたら家の中はものだらけになります。



環境にあわせて変化するべし

環境が変われば、生活スタイルも変えないといけない。
アタリマエのことですが、そんなアタリマエのことがなかなか難しいのですよね。
 
よくミニマリストが田舎に移住することがあるみたいですが、果たして田舎でもミニマリストをする意味はあるのでしょうか。
大事なのは田舎にいれば、田舎にあった生活スタイルが必要です。
 
生活スタイルを変えないといけないのは、なにも住環境の場合に限りません。
結婚したり、就職したり、子供が生まれたり、介護が必要になったり。
いろいろな場面で生活スタイルを変化させる必要があります。

ミニマリストに拘る必要などない

女性は強い。そんなことを言う人がいます。
環境適応能力が高いと。
実際なんでこんな海外の僻地に日本人が? といった番組で出てくる日本人のほとんどが女性です。
女性は、結婚、就職、出産など、様々な場面で変化するのを余儀なくされますので、環境適応能力が高いのです。
こうしてみると、環境に合わせて自分を変えていく能力こそ生きる力といえるでしょう。
  
ある時はミニマリスト、ある時はマキシマリスト、ある時はどっちでもない。
そういうふうに切り替えができることが大事なように思います。
 
一貫性がないとみるや批判してくる人ももちろん出てきますが、無視しましょう。
他人は自分の人生の責任をとってくれないですから。

変化できない国になっていく

社会に老人が増えて困るのは変化できなくなること
とにかく老人は変化したがりません。
私の親も祖母もそうでしたが、とにかく変化が嫌いです。

夕張市では、コストを抑えるためコンパクトシティにならないと生き残れないのに、老人たちは移住を嫌います。「この家で死にたい!」と。
周囲の人たちが自分を放って置かないことを知りつつ、いわば自分の命を人質にわがままを貫いているわけです。

この現象はおそらく全国的にそうです。どんなに国が疲弊しても、生活環境は変えるつもりは老人たちにはありません。

年金が僅かに減っただけでもデモを行う老人たちが有権者の4割を占めるこの国は、もはや変わることはできないでしょう。

変化することこそが生きる力というのは、国家レベルでも、企業レベルでも、あるいは種のレベルでもそうで、変化ができない国は、生き残る力が乏しいでしょう。

その意味で、日本の未来は非常に暗いと思っています。
ま、そのときは自分が変化してなんとかすればいいか、というふうに思えれば、さほど悲観的に捉えなくてもいいかもしれませんが。

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