ミニマリストを声高に叫んでも誤解されるだけ

ミニマリスト


物を持たないミニマリストと自称する人はよく誤解されます。

ひとつは、金持ちの娯楽と捉えられる誤解
もうひとつは、似非ミニマリストという誤解です。


物を捨てることも、物を買い貯めることも同じ?

いろいろな人のブログを見ているとあたかも「ものを捨てれば幸せになれる」かのような言説を見受けます。
そういった人の考えを否定するつもりはないですけれども、
物を所有すれば幸せになれる、という考えも、
物を捨てて最小限にすれば幸せになれる、という考えも、物によって幸せを手に入れようとしている点で同じだと思っています。

ボードリヤールの「消費社会の神話と構造」という本に、カーゴ・カルトの話が出てきます。
ハリボテの飛行機を島においておけば、仲間と間違えた飛行機が舞い降りて自分たちには作れない文明の利器を与えてくれる、と信じる未開人の話です。
ボードリヤールは、消費をこのハリボテの飛行機にたとえて、消費によって幸福が舞い込むと考える今の文明人を揶揄していました。
反消費についても同じことで、反消費というハリボテの飛行機をせっせと拵えているようにしか私には思えないのです。

おそらく普通の人が自称ミニマリストを見て思うのも、そういうことかもしれません。
消費と幸福をリンクさせている点、ものを買い込む自分たちと同じなのに、「ものを捨てろ」といわれても、
何言ってんだこいつ? としか思わないでしょう。
むしろ同族なので嫌悪感がよけい増すかもしれません。

なお、私の中では、物を持たないということは、
幸福や充実感は物の所有から生じるわけじゃない、という考えの一部(あるいは思考の反映)にすぎません。
ものを持たないことによって、幸福などが舞い込むとは考えてはいません。
幸福を得るための手段ですらないです。
(じゃあ、なんで物を持たないようにしているのか、と聞かれれば、面倒や煩わしさを遠ざけたいから、という表現するのが一番ぴったりかもしれません)
消費社会の神話と構造 普及版
消費社会の神話と構造 普及版

ミニマリストは金持ちの道楽?

失われた質素は贅沢という基盤の上で完成される。――その結果はあらゆるレベルで見いだされる。知的ミゼラビリスム(貧困者のふりをすること)やプロレタリスム(無産者のふりをすること)はブルジョア的条件に基づいて完成されるのである。(ボードリヤール「消費社会の神話と構造」p117)
物を持たないという生活を周囲に誇示することは、金持ちが自分の豪邸や高級車を見せびらかすのと同じだということです。
ですから、「私ミニマリスト! ミニマリストは素晴らしい、偉い、クール」などとブログなどで書くのは、普通の人から見ると、やたら自己顕示欲の強い金持ちだなぁ、としか思われません。
金持ちと見られなくても、「意識の高い人(揶揄)からマウンティングされた」としか受け取られません。

私はミニマリストではありません

ミニマリストと呼ばれる人々のように物が減らせたらいいな、と思うことはかつてはよくありました。
四壁とピカピカのフローリングあるのみ! という写真も大好きでした。
ですが、今では、「へーそうなんだ」というくらいにしか思いません。
他人の幸福と自分の幸福が全く関わりがないように、他人のライフスタイルと自分のライフスタイルは全く関わりが無いからです。

話が長くなってしまいました。
誰がミニマリストを自称しようが、私には知ったことではないことでしたね。
ということで話をここで終えます。

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名著『生きる意味』(上田紀行)はミニマリストのバイブルにきっとなる。

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