迷惑を被っても「他人からの悪意」と即断してはいけない
物がなくなったときに、「盗られた」と思ったり口に出したりすることがあります。玄関につけていた飾りがなくなったり、花壇の花が毟られたりして腹が立つときなどです。
(これらは実家がしばしば被る迷惑です)
こういうとき、私の父はすぐ「誰かに盗っていかれた!」といいます。
こういう迷惑を受けたとき「近所の人の嫌がらせ」だと即断する人がいますが、やめておきましょう。
理由は3つ。
1)悪意を受けると思うこと自体、体に良くない。
嫌な人が近所に住んでいると思ったら嫌でしょう。(精神面)
こちらが何か悪いことをした報いなのでは? などと自責的に捉える人すらいます。
2)人のせいじゃないかもしれないから。
カラスとか猫とか小動物のしわざということも。
濡れ衣を着せると、人間関係にヒビが入ります。(違う場合の存在とリスク)
3)人の仕業でも、攻撃的な意図はない、単なる出来心、ということもあります。(確率論。変な人やおろかな人は世の中に沢山いても、悪い人はさほどいない)
最近は認知症の人やストレスで魔が差す人もいます。
でも、こちらに対する悪意自体はないのです。
「無能で十分説明されることに悪意を見出すな」
これは私のオリジナルの考えではなく「ハンロンの剃刀」という考え方です。ナポレオンの頃にはもうすでに言われていたそうです。
詳しくはウィキペディアを見ていただきたい。
簡単にいえば、ある種の思考レベルでの断捨離ですね。
他人による迷惑=悪意、の場合より、
他人による迷惑=過失・うっかり・出来心
という事のほうが圧倒的に多いです。
有りもしない他人からの悪意にヤキモキするのは時間の無駄です。思考のムダです。
無駄なものは捨てましょう。
ただし、悪意がある場合もある、ということも忘れてはいけません。
世の中、悪い人はあまりいませんが、ゼロではありません。
悪い人は黙っているとつけこむので、それは防がなくては、より一層面倒なことになるからです。
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