予備の予備、そしてそのまた予備

断捨離

レトルト食品や調味料、シャンプーや洗剤、トイレットペーパーなどを買いだめして、キッチンや倉庫がいっぱいになっている人がいる。私の母親や亡くなった祖母がそうだった。


どうしてそんなにたくさん予備が必要なの?

そう聞くと、




「もしものとき無くなったら大変でしょ」
という返事が返ってくる。

ただ、スーパーなどで
「これ、家にまだあったかしら。なかったら困るからとりあえず買っておこ」

そういって買ったものの、帰宅してから
「しまったぁ。これまだあったんだ」
と後悔している姿もよくみる。
もっとも、予備の予備、そのまた予備として倉庫やキッチンの片隅に突っ込み、しばらくしたら同じことを何度も繰り返すのだけれど。

もう予備が無いのではないか、という不安感

結局、持ち物を把握しきれていないから、予備が多めになるのだ。
把握していないから、無くなっているのではないかと不安になり、余計なストックを増やす。
物が増えるとさらに把握しづらくなってくる。で予備が増える。
悪循環だ。

ストックが増えるだけならまだいい。
賞味期限を切らして、結局捨てるということにもなる。

予備を減らすのは『考えなし』ってわけじゃない。むしろ逆。


そんなにたくさん予備なんて必要ないよ、とミニマリストが言うと、
「いざというときのことを考えてないからそんなことが言える」と反駁される。場合によっては、何も考えていない馬鹿者を見るような目で見られる。

予備が膨大になっている人は、「備えがある」ということ自体に目が向き、それ以上のことは実は考えていない。

物を持たないことを積極的に選択した人は、逆に、色々考える。
何がどれくらい必要になるのか、不足した場合にどういう不都合が起きるのか、すぐ無ければいけないものか。調達場所とコストはどうなのか。
(「お金と健康さえあれば、なんとかなる」と達観する人もいるけれども。それはそれで考えぬいた結論だ)

「わからない」から不安は生まれる。

持っているかどうかわからないから、不安になる。
物を買うことでそれから逃れる。
けれどもそれは一時的に逃れるにすぎない。
なぜならすぐに持っているかどうか把握できなくなるから。

断捨離することは、物を持たない、ということだけを意味するのではなく、持っている物をきちんと把握することでもある。

持っているモノ。
持っていないモノ。
持っているかわからないモノ。

この3つのうち、「持っているかわからないモノ」を断捨離は捨ててくれる。
それは、不安を捨てることでもある。
余計な出費はなくなるし、家は広くなるし、そして不安の一因もなくなるわけ。

でも断捨離したからといって偉いわけじゃない


物資が乏しい時代を経験していないから、「断捨離はよい」なんてことが言えるのかもしれない。
お金があっても物がないという時代は確実に過去に存在し、痛烈に経験した世代もある。その世代の言い分にも理がある。
それに、断捨離できるのは、近くにコンビニや大型スーパーあるいはネット通販やそれらを支える物流網があるからであって、むしろそれに甘えている可能性も考えないといけない。
社会のインフラに負荷をかけてまで物を捨てるのは、長期的に見て自分の首を締めることになるだろう。

[スポンサーリンク]

[スポンサーリンク]

  • ?±??G???g???[?d????u?b?N?}?[?N???A