小麦が食べられなくなって知る、「美味しいものが食べられない苦しみ」

シンプルライフ


積年の腸の不良の原因が、小麦であるとほぼわかり、小麦を食べない生活を始めました。
朝は餅やご飯、昼もご飯系、夜もご飯系。間食もオカキなど「和」のもの中心です。

こういうと、さほど困ってもいないふうに思えますが、これまで食べられた美味しいものが食べられないというのは大変つらいです。



これまで、アレルギーに悩まされることなく、食についても気にせず過ごしてこれました。
近所に糖尿病の方がいて、糖質制限のため白飯すら食べられないというのを聞いて、「へぇ~大変だなぁ。ケーキとか美味しいもの食べられなくて気の毒だなぁ」とは思っていました。

しかしどこか他人ごとのように思っていました。自分には関係はないだろうと。
想像力には限界があって、やはり人は自分が痛い目を見ないとわからないものだなぁとつくづく思います。(主語が大きすぎるかな?)

私の場合は小麦を摂っても下痢と疲労感に苦しむ程度ですが、アレルギーの人は命に係る問題なので、食事をとることが地雷原を歩くように慎重に行動しなければいけない大事なので、心の底から大変だ、と思います。

姉が小学校の時同級生に牛乳卵のアレルギーの男子がいて、給食の時間どうしてもチーズケーキが食べたくなり、「死んでもいいから食べたい!」と周囲の人が止めるのも聞かずに食べたそうです。で、救急車で運ばれていきました。

この話を聞いた時は、「食いしん坊だなぁ」と思っていましたが、痛いほど気持ちがわかります。

なんで、美味しい食べ物にはみんな小麦が入っているんだ! ケーキもパンも、ポッキーも。お好み焼きたこ焼き、たい焼き。思いつくものには小麦が入っていて、

「下痢が何だ! 食べたいんじゃー」

そう叫んで食べたい衝動に何度も駆られます。

日本は美食の国だけど

日本は間違いなく美食の国です。
東京は世界で一番、ミシュランの星持ち店舗がある都市であり(参照ブルームバーグの記事)、
日本の消費者も食への関心が高いです。いろいろな国の美味しい料理を知っています。

でも、今の私から見ると、却って残酷な国でもあります。
食に制限のある人に対して、恐ろしいほど鈍感です。
ユダヤ教イスラム教など、宗教的に食が制限されている人が食べられる場所はほとんどありません。
カフェイン入りのお茶やコーヒーは、なんの断りもなく、差し出されます。
アレルギーについては、一応レストランでは聞いてくれるところも増えていますが、割りとルーズです。食材は使っていなくても調味料に入っていたり。

美味しそうなパッケージの食品が並んでいて、そしてそれは自分は食べられない。
目の毒だ。
そして、それを周囲は苦もなく食べている。

一時期(今もかな?)、彼氏彼女のいる人に対して、「リア充爆発しろ」などと僻む言葉が流行りましたが、こう美味しそうなものをパクパク食べている人を見ると「リア充爆発しろ」と本当に言いたくなります。こっちは食べられないんじゃー。自重しろ!

その言葉が理不尽なのは理解していて、実際にいうことはないですけど、美味しい料理を舌が覚えている間は、どうしてもそう思ってしまいそうです。

ああ早く舌が美食を忘れてくれれば苦しみから解放されるだろうに!
普段からもっとまずいものを食べておけば良かったのに!

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