図書館で本を借りようと思ったけどやめた。もっと積極的に情報の断捨離を行わないといけない
私は本をよく読みます。
このブログでも時々書評を書いているし、書いていない本もたくさん読んでいます。
今日図書館で借りようかと思ったのはエリック・ボブズボウム『創られた伝統』という本。
「伝統」という言葉は当然のように、「遠い昔から受け継がれてきたもの」と思われている。だが、「伝統」とされているものの多くは、実はごく最近、それも人工的に創り出されたのだと本書は言う。本書は、おもに英国におけるそうした実例をとりあげ、近代になってから「伝統」が創り出された様子を追う。バグパイプ文化だとかタータンチェックキルトが、イングランドに対抗するスコットランドが近代になって創りだした「伝統」なんだそう。
おそらく日本でも同じような事例はたくさんありそうです。
ただ、この本は流し読みしただけで、結局借りませんでした。
というのも、三センチを超える分厚い本を手にとった時、「時間をかけてこれを読むだけの意味はあるのだろうか?」という、問いが頭に浮かんだからです。
情報過多の生活
ネット以外でも情報は溢れている
図書館でも本屋でも、あるいは購読している新聞やテレビから、本当に様々な情報が入ってきています。そしてその99%は不要な情報です。
砂金をさらうような、時間の無駄のように思えてきました。
本を読みたい・情報を集めたい欲求の根源
以前紹介した『最強の集中術』という本に、「機会を喪失する不安のせいでリモコンを手放せなくする」ということが書いてありました。他のチャンネルでもっと面白い番組があるかも。
面白いツイートが流れてくるかも。
見落としていた面白い本があるかも。
そういった機会を逃すまいと、テレビをみたり、ネットをしたり、図書館・本屋にいったりするわけです。
また、私は小説やブログのネタを探しに本を読むということがよくあります。
ブログのネタになりそうかは、ジャンルが限られているのですぐに取捨選択が可能ですが、小説のネタに限っては、かなり際限なくアンテナを広げていました。
けれども、最近はインプット過多に陥っている気がしてきました。
アウトプットを増やしたほうがいいのではないか、とか「今あるもので勝負してはどうか」という気持ちが強くなってきて、小説を読むのは減ってきました。
本丸である「情報の断捨離」が現実味を帯びてきた
行動しない技術・不安をスルーする技術
これまで、習慣の断捨離をいくつか成功させました。たとえばカフェイン摂取の習慣を捨てました。
瞑想も、短時間ですが、頭に浮かんだ不安や雑念をスルーする訓練といえます。
図書館で本を借りなかったのも、瞑想のおかげのようにも思えます。
局所的ではない、大掛かりな情報断捨離ができるかも
情報の断捨離というのは、これまでも何度も挑戦してきました。まとめサイトを見ないようになったとはひとつの成果です。
ただ、全体的に見ればまだまだ情報への依存的な行動が目立っていました。
これまでもそれらを是正しようとはおもっていましたが、その決意は何度も挫けました。
押し寄せてくる情報と湧き上がる不安感に負けてしまっていました。
けれども、やっと、武器が揃ってきました。
- 情報を集めたい気持ちのメカニズム(機会を失う不安感)の知識
- 情報から離れる技術(leechblockやadblockPlusなどのアドオンの積極利用)
- これまでの成功体験(カフェインの断捨離や瞑想)
結構強い武器になりそうです。
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