「ある」に注目するか「ない」に注目するか
私は今までたくさんのものを捨ててきました。
ベッド、チェスト。本棚。大量の資料や本、CD、洋服。
こんなふうに断捨離をたくさんしてきて気づいたことは、断捨離は徹底的に「今自分が持っているもの」に目を向ける作業だということです。
「ない」ものは捨てられないので、「ある」ものに注目するのは当然といえば当然ですが。
ただ、断捨離を始める前の普段の生活では、ずっと「ない」ものにばかり注意してきたように思います。
「ない」から買う。「ない」と思い込んでいるから買う
自分に「ない」ものばかり目を向けると、不満ばかり溜まります。そしてそれを解消するためにお金を使って物を買うわけです。
しかしせっかく無かったものを買ってもしばらくするとその興奮は消えます。
なぜなら、目線は「ない」に向いているので、もう「ある」ものには注意が向かないからです。
そして、自分の持って「ない」ものの数はほぼ無限。
世界征服でも成し遂げない限り永遠に達成できません。
さすがにそこまでは言い過ぎとしても、「ない」と思わせる仕組みはたくさんあります。
その一番が「広告」です。
広告はこれまでにない新商品を次々と打ち出してきます。
「ない」にばかり目がいく人は飛びつきたくなります。
飛びつくことをやめるのは、大抵飛びつくだけの資金がないためです。
こう書くと、「広告」=悪、のように見えますが、善も悪もありません。
人によっては必要な物やサービスを提供してくれる情報源です。
人によっては無駄遣いを助長する装置です。
つまり、人によるのです。
仮に広告がこの世界からなくなっても「ない」にばかり目を向けている人が、その姿勢を改めるかといえば、NOでしょう。
「ある」ものに対する満足・感謝・自信
私達がもっているものは、すべて誰かの努力によって、手元にやってきたものです。給料から買ったものは自分の力であると同時に、自分を支えてくれた人の努力があってこそです。
もらい物でも、呉れた相手のおかげであると同時に、その人と良好な関係を気づいてきた努力があってこそです。
手に入れたものには、人の満足や感謝や自信といったものがくっついています。
そして物を通じてそれを感じることもできます。
しかし、「ない」ものにばかり目を向けると、そういうものを感じ取る機会が少なくなります。
もちろん、たくさんの物を持っていると、一つ一つのものに対して気持ちを割くことはできなくなります。
だから断捨離は必要になるのです。
その対象は、単に不要であるものだけではなく、相対的に与えてくれる満足が低いものも含まれます。間引きをすることで大きな果実を生み出すように、満足をより多く与えてくれるものがその真価を発揮できるように、断捨離するわけです。
「不要なもの」に目を向けることと、「持っているもの」に目を向けることは違う
普通の断捨離においては、必要なものと不要なもので分類されると思います。ただ、その分類が終わると、「必要」とされたものは再び収納されなんの感慨も与えません。「ある」ものへの眼差しは、一瞬で終わりです。持っているものへの満足というものはそこからは生まれにくいです。ちょうど地元の観光地にはあまり行きたいと思わないのと似ています。
近藤麻理恵さんの「ときめき」による断捨離メソッドは「ある」ものにも積極的な眼差しを向けさせる点、そして「ときめき」でものに付帯する様々な感情を一瞬で説明できている点が、他の断捨離メソッドとは一線を画しているように思います。
ある「もの」・持っている「もの」に目を向ける
ここまで、「もの」はひらがなで書いてきました。というのは、物質だけを対象にしたくなかったからです。
様々な経験、経歴、考えてきたこと、実践してきたこと、挑戦したこと。
そういう「もの」があるはずです。
これについても、私はこれまで、未経験なもの、未体験のものにばかり目がいっていました。
そういったものも大事です。新たな自信を与えてくれるものです。
けれども、物質の場合と同様、「ある」ものにも目を向けたほうがいい。
そう思うようになりました。
断捨離の過程で変わったこと
これまで私は自分に対する自信がありませんでした。常に「何かが足りない」と感じてきました。その何かを求めるために色々努力して何かを得ても、すぐにまたすぐに「何かがたりない」とおもってきました。物をたくさん断捨離し、捨てる物がほとんどなくなってきたとき、徐々に物を見る目、「もの」を見る目が変わってきました。そして、これまで自分に自信がなかった原因が、物に対する渇望感と同様に、「ない」にばかり注目して来た結果だとわかりました。
断捨離しているときは、そんなことは全然考えていませんでした。ただ物を捨てていました。
周囲から「もったいない」とたくさん言われたりしました。
けれども、断捨離から得られたものは、今までなかった「もの」の見方でした。
物を捨てることで、思いもよらず、人生を変える「もの」を得たのでした。
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