怪力乱神を捨てる。
子不語怪力乱神(子、怪力乱神を語らず)理性によって説明できないものは、決して語るべきじゃない。孔子はそう言ったそうです。
――論語 述而第七・二十
私は、現代においては、語るべきじゃないし信じるべきでもないと思っています。
風水とかエセ科学はミニマリズムやシンプルライフに矛盾する
科学というのは、疑って、疑って、疑いきったところにある僅かなものを基礎に積み上げていくモノの考え方です。これはミニマリズムとつながる考え方だと思います。一方怪力乱神は、「不安」や「欲望」を煽って、物を買わせたり、何か特別な行為を要求するもので、ミニマリズムやシンプルライフとは正反対のものです。
根拠不明、意味不明な風水とか運気とかエセ科学といった類のものは、すべてそうです。
世の中には、不安と欲望を煽って金儲けを狙う輩がいます。
同時に世の中には、知識や注意力、自己コントロール力が足りない人がたくさんいて、そういう人は格好のターゲットというわけです。
不安と欲望を煽る人間の使う言葉は、ターゲットになる人にもわかりやすい言葉なので、語彙も難しくなく、ちょっと気にすれば簡単に避ける事ができます。
例えば、「運気が上がる(下がる)」「パワースポット・パワーアイテム」「ラッキーカラー・ラッキーアイテム」「波動」「風水」「マイナスイオン」「水素水」……などなど。
定義がふわりとして、意味はなんだかわからないけど、字面語感は良さそうなものばかりです。
こう言うと、「風水」は科学にも基づいている、とか言い出す人もいますけど、根拠が科学なら、科学的知見だけで十分でしょう。不要です。
また、世の中科学が解明したものばかりじゃない、と言い出す人もいます。
そうですね。でも、怪しげなものが正しかったことより、怪しげなものがやっぱり嘘だった、ということのほうが圧倒的に多いですよね。
エセ科学に救いを求めるのは、砂金で生活を立てるくらい不毛
川に砂金を求めて生計をたてる、なんていえば馬鹿にされるのは必至だけど、エセ科学の中に未来の科学を見出すなんて真似も確率的に考えると砂金で生計をたてるくらい無理なことです。
エセ科学や運勢、風水、そういった怪力乱神の知識・信仰はそういうものなので、捨てても生活にマイナスはないでしょう。
シンプルライフか否かを決めるのは所有物の量、ではない
よく、断捨離したら運気が上がる。とかいう人がいますが、嘘です。気のせいです。部屋が散らかっているから運気が下がるのではなく、単に生活に余裕が無い(と思い込んでいる)から家が散らかっているのです。
生活に余裕が生まれ、あるいは余裕がないという思い込みを捨てたから、生活の質が上がるのです。物のあるなしは関係無いです。
シンプルライフやミニマリズムは、所有物の量ではなく、シンプルな思考の延長にあるのだと私は思います。
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