【重い話】「察してほしい」を捨てる
口で言うのはしんどいから「察してほしい」と思うことは誰にでもあることだけど、残念なことに人間は「察する」なんて滅多にできない。せいぜいパターン化された機械的行動を予測できるだけだ。想像力なんてほとんどない。観察眼なんて皆無だ。そう思うに至った話をしようと思う。死に関する重い話だ。
そういう話が嫌いな人は読まないほうがいいでしょう。
数年前、私は死のうと決意した。
精神的に疲れきっていて、頼れるものもなくて、出口さえ見えなかったからだ。
普通の人が「死にたい」とかツイートするレベルじゃなくて、決行場所や時期、方法などを完全に決めて、準備が終わったら、全てを終わらせるつもりだった。
ただ、幸か不幸か、私は人に迷惑をかけるのを厭う性格だった。
死ぬ場所も時期、方法も想定できる中で迷惑最小限なものを選び抜いたのは当然として、死んだあとの処理も周囲の負担にならないようにするつもりだった。
もちろん死ぬことも一定程度迷惑をかけるのだけれども、金銭的な損害や手間を取らせることだけは最小限にしようと心に誓っていた。
だからその準備は、かなりの時間を要した。
まず実家の私物の処分を始めた(断捨離などではない)。
もともとたくさんの本や書類を抱えていて、本棚が4つあってもそこから溢れだしているほどだった。
死んだ後、親は整理できないだろうと確信できた。自分のものも整理なんてできない人たちだ。
あんな大きな地震に遭ってもなお、頭の上になだれ込んでくるような位置に物を積み重ねている人だ。それでいて「地震対策はできてる」とか馬鹿なことをいう人だ。物の整理なんてできるわけがない。
さておき、書類を束ねるのは大変で、本当に時間がかかった。
今思うと「まだ死にたくない」という気持ちもかなり残っていたんだと思う。
書類をひとつ束ねるごとに、自分の命がすり減っていく思いがした。
何度も長い溜息をついて、ぼんやりしたこともあった。
時々捨てるに忍びないような本が出てきたりして、夏なのにブルブル震えた。
死ぬのだから勿体無いなんていう感想が出るのはおかしいのだけれども、意を決してそういったものを捨てていくとドンドン心も死んでいったように思う。
鏡で見た自分の目は完全に死んでいて、顔から血の気も引いていた。実際体重も減っていたし。
トラック一台分の書類を黙々と束ねたけれども、私の様子を見る親は、「使えそうな本なのにもったいない」とか口を挟んできたり、広くなっていく部屋を見てむしろ興味津々という感じで笑っていた。
本当にとんでもない量の資源ごみが部屋に積み重なっていた。
誰がどう見ても異常な量だった。普通の人が捨てる量じゃなかった。
私の心の何処かで、親には「なんでそんなことするの?」って聞いてもらいたかったし、それ以上に「精神的に大丈夫?」「死ぬつもり?」とか冗談でもいいから言って欲しかった。察して欲しかった。
この行動は私のためではなく、あなた達に迷惑をかけないためにしている行動なのだから。
何度も「さようなら。今までありがとう」と親にいいそうになったけれども、それを言ったら、もうおしまいな気がして言えなかった。だから、察して止めて貰いたかった。
けれども、親にはそういう感性がないのだろう。全く察してもらえなかった。
「察してもらう」なんて無理なんだと、書類や資料を半分くらい処理したときに気づいた。
同時に、「この親だったら、多少悲しませても構わないや」とすら思った。
四分の三ほど処分できて、まだ残りはあったけれども、残しておくことにした。
あとは死ぬために必要な道具を買って、死ぬ予定の場所に行くだけだったのだけれども、驚いたことに、死ぬ予定だった場所が、この世から無くなってしまった。
正確に言うと、もともと死ぬ予定だった場所は人が来ることのない、とても静かなど田舎の私有地だったのですが、私が死ぬ準備に時間をかけている間に、お役所の観光政策がうまく行き、その周りにやたら観光客が来るようになってしまったのです。
人気のないあの地が、私より先にこの世から消えてしまった。
「迷惑をかけない」というのを信条にしていた私は、予定を変更せざるをえませんでした。
お役所が頑張って人を呼びこんでくれているのに、私ごときで水を差すのは忍びないし。
その後いろいろあって死ぬのは中止になったのですが、確実に実感したのは、親も親族もどんなにこっちが察してほしいという仕草をしても全く気が付かないということだ。
「死にたい。けど生きたい。止めてほしい」
どんなに強烈な思いであっても、言葉にしなければ全く伝わらない。一ミリも伝わらない。
毎年いじめや学校での悩みで自殺する小中高生がいる。
ニュースになるたび、「親は、学校は、周囲は、なぜ気づかなかったのか」そういう話が出る。
はっきり言おう。
自分の想いなんて、言わなきゃ絶対に伝わらない。
伝える訓練をするべき、させるべきなのだ。
「察してほしい」なんて望みは、即刻捨てるべきなのだ。
※参考:ネガティブなことだけでなく、ポジティブなことでも下記引用のようにドンドン口に出したほうがいいんでしょうね。
夫婦円満におすすめ「察してもらえると思うな」 pic.twitter.com/Nw8dqiKccG
— れのれの (@renoreno0802) 2015, 3月 26
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