断捨離では心のスキマを埋められない

断捨離

この国には何でもある。だが、希望だけがない
――村上龍『希望の国のエクソダス』


将来への希望のないこどもの割合は、海外より二倍から四倍も多いそうです。すごい圧倒的。
希望のなかったこどもがおとなになって急に希望を持ち出すなんてことは少ないから、希望のない大人も同じくらい多いだろうと思う。


内閣府 平成26年版子ども・若者白書(概要版) より



もっとも、希望がない人の孤独感は、海外の人より強くはないかも。
みんな希望があるのに自分だけないなら、それだけ孤独感は増すからね。

話をもとに戻します。

消費行動の先に希望はない

当たり前だけど、希望がないからといって、希望が欲しくないわけじゃない。
希望の光を求めて、行動する。

手近な行動は、消費。
お金さえ使えば、他人に迷惑をかけることなく単独で手軽に行えます。
これを買ったら生活が変わるのではないか、と買い物をする。
買い物で一時的に満足しても、すぐにまた、ソワソワし始めて、「何かが足りない」と思い始める。
再び買い物へ。
満足する時間が極端に短くなって、費消する金額も大きくなると、「買い物依存症」ということになり生活が破壊されます。
もちろん、殆どの人はそういう風になりませんが、心のスキマを埋めるために消費をし続けるという意味では同じです。

でも断捨離では心のスキマを埋められない

断捨離をするとそういうループから外れる。
そんなふうに人がいるかもしれないけれども、私はそうは思っていません。
実際は、ループから外れると断捨離を始める感じだと思います。
「物買っても無意味……。むしろ有害」
そう思って消費のループから外れ、断捨離を始めるのだと思います。

ただ、ある人は断捨離を、「買い物」同様に、心の隙間を埋めるために行うかもしれません。
が、はっきり言いますが、心のスキマは埋まりません。
断捨離を「人生を変える手段」だと思っている人の断捨離は、消費活動とほぼ同じです。

「~すれば」人生が変わるのではないか?
この「~すれば」のところに、「物を手に入れれば」を代入するか、「物を捨てれば」を代入するかの違いしかありません。

確かに、断捨離は物を捨て切った時点で終わるのでループしないように思えますが、そういう人は、「断捨離は無意味!」とか言い始めて消費生活に戻ります。

「消費生活、一時的満足、不満再発、消費生活……」というループが
「消費生活、一時的満足、不満再発、断捨離生活、一時的満足、不満再発、消費生活……」という大きなループに変形するだけです。

だから、本当に大事なのは、断捨離のあと。
断捨離の後に、自分の本当の希望を見つけることです。
自分の心と真摯に向き合うことです。

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